だめだ、本当にごめんだけどまた推しのことを考えている

勧めてもらった本、正直難解だけど、また会う理由づくりのためだけに読んでる

でも恋愛感情ではないんだよなあ、絶対に

サシ飲みに誘ってもらったり、わざわざ"健全"とか"付き合いたてのカップルの会話かよ"とかいう言葉を使われるくらいには分かりやすく気に入られてて、まずこんな頭の良い人にそう評価してもらってる自分自身に酔ってるんだと思う

あとは、ストレートな物言いに単純に慣れてなくて特別感がある(そんなはっきり言ってくれるなんて私のこと分かってくれてる!的な)とか、どうせ恋愛感情とは誤解されないだろう(されたところで何もないだろう)から、推してます!アピールもしやすいとか?

じゃあなんでアピールをしたいのか?たぶん(人として)好きな人にちゃんと好きですと言うことって一種の快感というか、自分が好きな相手の感情を操作(は言い過ぎかもだけど)できて気持ち良いからかも

自分のことは好きになってもらえなくても別にいいけど、私は私の言葉であなたを喜ばせる=感情を動かせることに興奮する?きもいけど!だからこそ憧れる人にほど(言うことが許される環境なら)言ってみたくなる

そう考えると、私が好きって言えば相手が喜ぶだろうってすごく傲慢な考えだよね、自己肯定感高めだな

あーでもそっか、誘ってもらえるくらいなんだから私のことは少なくともお気に入りなんだろうと思えることがそこに対する自信にも繋がってるのか

だいぶ整理されてきた、自分が気持ちよくなるために会ってるだけなのかも、その前提として、推しは私にとって凄い人、という確信が揺るぎないものとしてある限り

 

その人ができることを自分が代わりにやることは、その人が1人でできるようになる機会を奪っているということ

 

何も考えずにそのお菓子を食べていたことを将来おばさんになったときにとっても後悔するはず

推しとの飲めたことが本当に楽しくそして(対等に話せないことが)悲しかったのでちゃんと書いておこう

 

3日くらい経って考えたことは、自分の人生の中で自己肯定感が大きなテーマになっているということ

母親の言葉で語られる私=私の時期(一人暮らしまで):そもそも自己がないから肯定も否定もできない

→今まではそれでも良かったけど、あまりにも内的自己と異なるイメージを持たれていることが辛くなり一人暮らし

→やっと自己と向き合う時間ができて、自分に向き合う時間が一番多いのが自分、つまり自分を好きでいたほうが楽しいと気づいた

→どういう自分だったら好きになれるのか考えまくり、向いている仕事をするほうが良さそうと結論づけて勉強開始

→今

 

だから今は割と自分のことが好き

自分で自分のことが好きだから、人に知ってもらわなくても満足してるのかも?だから喋らない

or 人に嫌われたくなくて言葉を選んでいるからゆっくり話している?

→確かにと思ったけど、たぶんもっと根本的な問題で、自己がうまく確立されてないのかも。座右の銘をすぐ忘れちゃうとかも

でも反省会したくないというのはあるなあ

なんで嫌われたくないんだろ→自分のことを好きでいられなくなるから?自分さえ自分のことを信じれたらそれでいいのにね→嫌われる勇気もう一回読んでみる